2007年09月29日

海外文学:アーネスト・ヘミングウェイ著 沼沢洽治訳「エデンの園」


アメリカ文学のヘミングウェイの遺作。1950年前後に書かれたとされ、編集され大幅に手を加えられて出版された。

<あらすじ>
フランスの作家デイヴィッド・ボーンとその妻キャスリンは新婚旅行をしながら小説を書き続けていた。その旅行の途中出会ったマリータという女性と二人との三角関係を描く。

オススメ度:☆☆☆

この訳は場面転換とか状況説明がどうにもわかりづらい。それにキャスリンの精神状態は特殊で、心の動き幅があまりにも大きいうえ突飛な行動が多いので、一行後には真逆のことを言い出したりするから、それを理解するのに一苦労というのが読んでいて辛いところでした。
文学だけあるので、どうせ最初半分はどうでもいい導入部分ですから辛いのなんのって。面白くもないし、主要人物のマリータが出てくるのもその辺りで、そこらへんから読み始めてもいいくらいに感じます。ただしその部分からどんどん面白くなっていくというのが素晴らしい。
この小説の面白い仕掛けは、主人公デイヴィッドが小説家であるということで、作中で小説を書き上げて完成させてゆくところが非常に面白い。なんというか、惹き込まれる、なあ。
この最後は最後で、これなりに納得出来るような感じですし、なかなかいい作品でした。

しかし、しかし。
この作品の訳者あとがきを読むと、遺稿だから実は編集で1/3まで削っていて、本当は登場人物が一人減っているとか。それだけ手を入れたらもう別の作品なんじゃないんだろうか、と感じてしまった。
もともと未完成な部分が大きかったからそうなっちゃったんだろうけれど、うーん・・・。

ということですが、紛れもないヘミングウェイ文学と呼ばれる作品です。
まあ、ヘミングウェイの他の作品から読んだ方がいい、と思いますけれど。

ちなみにBGMはエクストリームのアルバム「ウェイティング・フォー・ザ・パンチライン」でしょうか。
このアルバムのグランジに浸りきったファンクメタルの不安定な雰囲気がこの小説にやや合っている、かもしれません。
ギタープレイはヌーノ・ベッテンコートの息をのむようなプレイも紛れ込んでいて、当時のアルバムリリースの時代はうんざりするようなシアトル風サウンドがブームとなりそのサウンドに染まっては消滅していったロックバンドが多く、「ヘヴィメタルはグランジに殺された」と言われるほどの時代、その中で時代に流されるようにエクストリームもグランジサウンドに寄っていくのですが、非常にクールな表現をしていたのは数あるバンドでもこのバンドのグランジサウンドくらいかもしれません。もともとリズム感が非常に良いギタリストのヌーノのサウンドメイキングとゲイリー・シェローンの声質はどのシーンでも通用するものだったということもあり、サウンドカラーが前作「スリーサイズ・トゥ・エヴリ・ストーリー」と180度違っていても、エクストリームらしさを損なっていないのです。
しかしクイーンズライクやロブ・ハルフォード、ジョージ・リンチまでもを路頭に迷わせたグランジサウンドに脚を踏み込んでしまった以上、もう戻れない。このアルバムを最後としてエクストリームは解散する。そしてゲイリーはその後なんとサミー・ヘイガーの抜けた後のヴァン・ヘイレンへ加入するという時代でした。その後ゲイリーはまたもやヴァン・ヘイレンを脱退するという悲劇に見舞われる。
その流れが、なにかこの小説といくつか一致するような気がしました。決して似たりするわけでもないし、重なるというものでもないけれども、登場人物やら著者やら、それらを取り巻くという流れに皮肉的なものを。

合うか、と言われたら微妙かもしれないけれども、これを不思議とBGMにしたらいいと思います。「エデンの園」には良ければ一緒にエクストリームの一枚を。
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2007年09月20日

海外文学:カフカ著「変身」高橋義孝訳と筋肉少女帯「人間のバラード」


<あらすじ>
ある朝、目覚めるとまじめな会社員グレーゴル・ザムザは自分が巨大な虫に変わっているのを発見した。当然家族と暮らすグレーゴルでは家族に警戒され部屋に閉じ込められ、食事も飼っている虫と同じようなものが与えられた。そのうち精神もなにもかもが虫になりつつある自分に気づきつつも元の自分に戻れる日を待ち続ける。
異常な事態の不条理さを描いた、人間の心理をえぐる文学。

オススメ度:☆☆☆☆

なんというか、当然こんな身体が変身して不条理さを描くような話に不快感を持たないはずはないんだけれども、これがなかなか面白い。主人公グレーゴルの人格やら仕事に対する想い、家族への思いやりとかを事細かに書いていて、当然感情移入もしてくる。身体を悪くして働けない親の代わりに大黒柱となって家族のために働くサラリーマンとなって汗して、そして妹を進学させるために誰にも言わず貯金していたという泣ける男である。だが虫に変身して家族に嫌われ、当然巨大な虫では家から出ることも出来ない。そうなればグレーゴルを応援したくなるのである。虫になるまでは愛されていたが、虫になった途端家族から嫌われ、むしろ憎まれるほどになっているというこの不条理さ、世知辛過ぎるストーリーを見事に描いている。グレーゴルを哀れまずにはいられない。


この物語にはやっぱり筋肉少女帯の「人間のバラード」という、人間に生まれ変わりたかったのにまた虫に生まれ変わってしまったという歌。コンセプトアルバム「サンフランシスコ」収録曲。このストーリーにはこの悲しさを歌ったものがぴたりときますな。筋肉少女帯のコミカルな雰囲気を醸し出している中に実はものすごくダークなカラーが入った歌詞が、妙にこのカフカ文学とはマッチしているところがいいですね。ぜひ合わせて聞いていただきたいですな。
posted by しょうへい at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月04日

海外文学:ヘミングウェイ著「老人と海」福田恆存訳、FRAMESHIFT「La Mer」、或いはドビュッシーの「海」

ノーベル文学賞受賞作家アーネスト・ヘミングウェイの作中最も名高い本作「老人と海」。
老いた漁師サンチャゴが85日という不漁を乗り越える4日間のサメとの対決を描く人間ドラマ。

オススメ度:☆☆☆☆☆

初めて読んだのは高校2年生の時だった。
この蒸し暑い夏、家にいてもどうしようもないときに久しぶりに読んだ。喫茶店で手にしていた一冊がこの「老人と海」であり、涼しい喫茶店の中で読むヘミングウェイは素晴らしい時間をもたらしてくれた。うん、これは紛れもない傑作であり、歴史に名を残していて多くの人が愛している一冊である。
この主人公サンチャゴの描写がとにかく大好きで、この描き方には心が惹かれる。描写がハードボイルドだからという小説の手法のことではなく、漁がうまくいかなくなり周囲から「老いぼれ」と思われながらも漁をひたむきに続けている姿は格別の味わいを持たせている。気に入った文章は1ページ目の
かれは年をとっていた。
から始まり、
 この男に関する限り、なにもかもが古かった。ただ眼だけがちがう。それは海と同じ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた。
この文章がもうたまらなく好きで、渋みが迸っている。こういう年の取り方って憧れるなあ。
ストーリーはサメとの対決を描くもので、これがなかなかのアクション的な描き方をしていて、情景がまるで眼に浮かぶのである。どうしてかこれが眼に浮かぶのか不思議だけれども、そこが作品の楽しいところ。サメを追いかけ航海を数日かける場面ではもどかしいくらいに読者を待たせ、サンチャゴが感じた長い一日を見事に読者に感じさせるような所もまた見逃せない醍醐味である。そして倒したサメが、港に戻るときに別のサメに襲われるところの緊迫感にはたまげさせられる。見事な迫力である。

この作品には広大な音楽が欲しい、と思った。僕の中ではフレイムシフトのアルバム「アンウィーヴィング・ザ・レインボウ」収録のの#7「La Mer」、ずばり「海」なんていいんじゃないかと思いました。フレイムシフトの演奏には確かに海を感じさせる大きな海原を感じさせるものがあると思います。海のスケールにはピアノの響きとジェイムズ・ラヴリエのオペラ歌唱法は見事なマッチです。

ちなみに、本文にこういう下りがあります。
 海のことを考えるばあい、老人はいつもラ・マルという言葉を思い浮かべた。それは、愛情をこめて海を呼ぶときに、この地方の人々が口にするスペイン語だった。海を愛するものも、ときにはそれを悪しざまにののしることもある。が、そのときすら、海が女性であるという感じはかれらの語調から失われたためしがない。もっとも、若い漁師たちにあるもの、釣綱につける浮きのかわりにブイを使ったり、鮫の肝臓で大もうけした金でモーターボートを買い込んだりする連中は、海をエル・マルというふうに男性あつかいしている。かれらにとって、海は闘争の相手であり、仕事場であり、あるいは敵でさえあった。しかし、老人はいつも海を女性と考えていた。それは大きな恵みを、ときには与え、ときにはお預けにするなにものかだ。たとえ荒々しくふるまい、禍いをもたらすことがあったにしても、それは海みずからどうにもしようのないことじゃないか。月が海を支配しているんだ、それが人間の女たちを支配するように。老人はそう考えていた。
この文章も印象的で好きで、なるほどスペイン語の場合海は女性名詞なのか、と。この歌もまたラ・マルなのだ。

もうひとつだけ。
この「老人と海」には、ドビュッシーの交響曲「海」も間違いない。ドビュッシーがフランス語だとかはよくわからんけれど、ともかく3部の「風と海の対話」は素晴らしい。低音のうなりが波を表し、というのはもう説明する必要さえ無いことでしょう。

20世紀文学の傑作であり、それでも短めの文庫一冊にまとめられていて非常に読み易い。訳も非常にわかり易い。オススメの一冊です。
posted by しょうへい at 19:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月29日

国文学:大塚英志著「僕は天使の羽を踏まない」


2003年徳間書店刊の文庫版にした一冊。
転成し続ける犬彦らを描いた「MADARA」シリーズの完結編である天使編の結末を描く。

このMADARAシリーズは大好きな漫画・小説群で、20年くらい経ても好きで好きでしょうがない。
それでも完結しないこの話は次のストーリーはいつ出るのか、と気をやきもきしながら待つのが既にファンの恒例の行事となりつつあるのだけれども、もうでない、と思い始めているファンがいるのもまた事実。

この小説だって、実は先日出ていることを知ったくらいで、大塚英志と田島昭宇はいつまでやるんだ多重人格探偵サイコとか感じているくらいですから。
作品も随分長いこと読み返していないし、五年近く経って今更存在を知ったのがファンかと言えば、違うかも知れませんが、それでも好きな作品には代わりはないですし、だって転生編のCDドラマを持っているくらいにはファンではあります。大人になってからはもはやそんなの手に取るなんて出来ないですけれど。

四半世紀を生きた僕に、本作品を買うのは辛かった。ティーンズ向けライトノベルから刊行された「僕は天使の羽を踏まない」なんて、表紙に綺麗な絵でミニスカートの女子高生みたいなのが描いてあったらそりゃ買うのためらうわな。無理だって、こういうの。今月のローリングストーン誌もエヴァンゲリオンの綾波が表紙だから買えなかった。どうしろというんだ。
表紙の絵が田島でないことは百歩譲るにしろ、少なくともハードな感じであればよかったのに。こんなにも萌え系の絵で来てほしくなかった。作品にこういう絵があんまりにもミスマッチというのは大塚英志の小説とか人間性を知っている人にはよくわかっていると思うんだけれども。
大塚英志の小説はエンターテイメント色を交えているけれども、根底は純文学なのだから。

オススメ度:☆☆☆

あらすじは、これまでのMADARAシリーズのストーリーを知っている人に出なければ説明出来る小説ではない。
知らない人には全くもって読み通せない作品で、やや変わったジュブナイル作品かと思いきや、唐突に神殺しの剣や光る球体の話をしてもびっくりされると思います。他のシリーズを全く覚えてない状態で読むと結構忘れていて思い出せない所とかあったけれども、それを思い出せたから随分と楽しむことが出来た。

それでもあらすじを説明すると、主人公はコインロッカーベイビーだった犬彦で、麒麟とともに「終わらない昭和」に108回目となる最後の転生をして生まれ変わった日本を舞台として、生まれ変わったはずの摩陀羅を探す旅をする物語である。
他の様々なシリーズ作品の登場人物の生まれ変わりが半分くらいは出てくるのだけれども、そのどれもが大塚節で描かれている。当然それまでは田島昭宇らの漫画として描かれていたから違う印象を受けるものなんだけれども、大塚の文章にはその筆者の個性が漫画で描くよりも強烈なものがあると思えてしまう。
主要人物なんて思い入れも愛情もあろうが一行後には殺してしまう。
余計な文章をわざと書いてつまんないだろうから飛ばすと書いたり、大塚自身が社会に対して思っている毒を書いたり、自分の関わった裁判への言及を入れたり、私小説に非常に近い立場を取っている風変わりな作品ではある。
しかしこの大塚英志の小説というのは他の作品もこのような書き方で書いている。
僕にとって非常に理想的であり、一番好きな小説かと言ってもいいくらいだ。
不条理さを強く描いているというか、それでも絶望しかなくても、希望を持っている彼らを書いているところが大塚英志を好きになるところと言うか。

大塚英志の格の見せ所となった作品であるのは間違いなく、「天使編」と同じくらい愛せる作品となりました。この結末でいいです、僕には。いつか「天使編」も完結すると待ち続けるのだから。

MADARAを知らない人にはオススメしませんが、シリーズ全部読んでからこの作品を読んでもいいと思える価値が、シリーズにも本作にもあるのではないかと思います。

そのBGMには、おそらくこの一枚。筋肉少女帯「最後の聖戦」、大傑作ヘヴィメタルアルバムです。

オープニング・チューン「カーネーション・リインカネーション」。この歌詞が転生を扱うこのシリーズには最適なはずなのです。ハードロック好きなら橘のギターには必ずうならせられる、非常に高い完成度を誇る楽曲でありますし、一緒に聴くべきでしょう。大槻ケンヂの歌もなかなか悪くない味があります。
また犬を歌った名曲「トキハナツ」、犬死にとわかっていても立ち向かうこれまた名曲「タチムカウ -狂い咲く人間の証明」も特筆すべく楽曲であります。「221B戦記」も忘れるべきではないですが、ちょっとこれは合わないかもしれません。
posted by しょうへい at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月22日

SFコメディ小説:田中哲弥著「やみなべの陰謀」

オススメ度:☆☆☆☆☆
突如家に送られて来た千両箱とそれを担いできたアロハシャツの大男。その千両箱の謎を巡ってやくざやタイムトラベルやトランペットが複雑怪奇に絡み合うSFコメディ小説。
この笑撃的文体に溺れろ!

コメディ小説の巨匠と言いたいくらい、類い稀な文才を持つこの田中哲弥という小説家ですが、非常に寡作なのですが、10年近く書かないでいたところで未だに根強いファンをもつ作家であり、その新作を僕もまた待ち望んでいたひとりです。
今作品は1999年にメディアワークスの電撃文庫から発売されたものをハヤカワ文庫が再発したもので、僕は当時の田中作品をそれのみ読めなかったので、この作品を手にした時はちょいと驚かされました。このハヤカワ文庫版は2006年になってから再発されたもので、なんとこの田中哲弥が「ミッションスクール」という短編集にして新作を出すと言うからそのための再発だと思うのだけれど、ようやくこの人の作品が再発されたようです。お帰り、というか、なんというか。

さてこの作品、やはり強烈な田中節が張り巡らしており、1ページ目からその田中哲弥特有の濃い文体が堪能出来る。2ページ目の脇役の名前は「ドブさん」というむちゃくちゃな名前で、それもやっぱり田中らしい、ファンとしてはにやりとしてしまうこのスタートから非常にうれしい作品となる。

この小説は5部に分かれている短編であり、1章の現代の学生が主人公から3部においては江戸時代の侍の話、とくればまったくもって関連のない短編集である、そう思わせておいて、これがしっかりと最後にジグソーパズルのようにぴたり(?)とはめこみ1つの物語に仕上げてしまうのだ。
その作品のとてつもない阿呆さ加減のコメディぶりに徹底している流れの中、唐突な死の影が現れたり、異様な空気の張りを表現する様などには抜群のセンスを感じます。
最後の謎が本当にタイムトラベルでしっかりと解決されたかといえばよくわからない所もあるものの、どうしたことか見事に納得させられてしまうのだ。
あっけにとられると言うか、まさか最後に、こんな感じでくっつけるつもりのストーリーだったとは。謎が微妙に残るのだけれど、この満腹感というか、そういうものを与えてくれる作品です。

第1章「千両箱とアロハシャツ」は主人公守がアロハシャツの大男に千両箱を貰って、それを探しているやくざがらみの事件に発展するコメディ。
第2章「ラプソディー・イン・ブルー」は守が学校で送るデジャヴある青春を描く。
第3章「秘剣神隠し」は江戸時代の吉岡信次郎が秘剣を得ようと千両箱から一両借りたものの、それをひとりのバカが騒ぎ立てたおかげで泥棒騒ぎへと発展する。この結末には多分読者のみんな驚きます。
第4章「マイ・ブルー・ヘヴン」は大阪府知事によるお笑いファシズム体制下でのレジスタンスの一員佐久間の行動を描く。設定はコメディであるけれどそれをシリアスに迫る著者の業は圧巻。一番のお気に入りです。
第5章「千両は続くよどこまでも」は、アロハシャツの大男が千両箱にまつわる謎を解明する。この終わり方が素晴らしくて、どうしてこういう作品を作ることができたのか、と思ってしまうほどほれぼれした作品です。

著者の代表作「大久保町」シリーズが好きな方ならこの作品も大好きになれるのではないかなあ、と思いますし、また初心者の方も変な文体ですが5ページくらい読んで馴れたら最後までずっといけると思います。癖の強い作品ですが、それが気に入らなくても読んでいただきたい傑作小説です。たとえこれがコメディでなくても傑作であると思える1冊、絶賛します。

この作品のBGMにしたいアルバムには、かなり悩みましたが、たまたまこれを読んでいたときに聴いていたメガデスの「リスク」でしょう。案外合うもので、これを選んでおけば間違いなしです。

このアルバムも1999年に発表されたアルバムで、時期的には似通っていますし、メガデスらしくない明るさを多分に盛り込んだアルバムで、マーティ・フリードマン在籍最後のアルバムであるとか、確かにタイトル通り「リスク」な1枚となりましたが、このやや能天気さを醸し出すアルバムがかなり気持ちのよいロックアルバムとなっており、田中哲弥作品には似合うでしょう。きっと。多分。ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」よりはずっと合うはずです。
#5「ブレッドライン」みたいな明るいのが思ったよりぴったりくるし、アメリカ最強のプロレスラーであるゴールドバーグの入場曲#4「クラッシュ・エム」でアロハシャツの大男を想像してみれば、結構な臨場感が出たりします。
#1「インソムニア」の不安定さは、この小説のシリアスな部分にはぴったりかもしれません。
#9「エクスタシー」のイメージなんて第4章のラストくらいに掛けてほしいイメージでしょうか。歌詞の「愚かなプライドの代償 背徳の代償」とか歌っている部分なんてぴったりでしょう。
ということで、「やみなべの陰謀」を読む時は「リスク」を掛けながらにしましょう。思った以上にケミストリーが生まれる2つの作品だと思います。
posted by しょうへい at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

SF小説:桜庭一樹「ブルースカイ」BGMは無し

 オススメ度:☆
観てよこの表紙、非常にきれいで印象的でしょう。
文庫本の裏のあらすじも非常に面白そうなことが書いてある。それもハヤカワから。これは手に取っちゃうでしょ。
第1部はかなりいい感じで、軽い立ち読みしてみたらまず当たりだと思っちゃうでしょ。
しかしどうしたものやら、読み進めていくうち、とっても困った本を読んでしまった、と感じざるを得ない。ストーリーが酷いんだよね、もうどうしてくれるんだって感じ。3部あるのにつながってない。
第1部なんかはかなりいいストーリーだと思わせてくれて、すごく期待を膨らませてくれるのですが、最後、なんだよ、これって感じです。
お前の登場で全部だめになっちゃうじゃんか。女子高生が中世ヨーロッパに出てくると萎えるな・・・。自分でもここまで萎えるとは思わなかった。
あとはもうなし崩し的に、ってところです。

本ってのはページをめくる度に残りのページ数が少なくなってきたことに気づくから、ストーリーの終結を読者としては期待するわけです。
「あとちょっとしたらこの本終わっちゃうんだけど、終わるの? どんなオチが待ってるの?」
「もう残り2ミリくらいしか残ってないけど、どうやったらこの広がっちゃった壮大なストーリーの結末に辿り着くの?」
という期待と不安を感じながら、僕はこの本を読み終えました。
たいていこの考え方をするパターンってのは、2種類しかありません。
1つ目は、実は続き物で、次に続くというやつ。この本は、この1冊で完結するストーリーだと読者が勝手に期待しているから、これはまあ救いがあります。
2つ目は、勝手に終わるタイプ。もう締め切りに迫られたとかストーリーの結末が考えられなかったからどうしようもないときの手段。ほぼ99%が酷い作品。
映画で言えばスピルバーグの「A.I.」とか。なんだよ2000年後って。もちろん好きな人もたくさんいるけどね、あの映画。でもあの結末だけはいただけない。こういうのって本当にがっかりする。
本当は3つ目に想像もつかなかった素晴らしい結末、ってのを挙げたいんだけれど、そんなのいままでありませんでした。

んで、この「ブルースカイ」。2つ目のパターンですね。
酷い小説なんてたくさん読んでますが、これもかなり酷いタイプ。
残りページが少なくなってきて、第1部と第2部合わせて8割くらい、残り2割でストーリーをどうやってまとめるのかと思えば、まとまってないじゃんか。

あらすじはこんな感じ。
第1部は西暦1627年ドイツ、魔女狩りと指定されて逃げ惑うところで、時を越えて存在する週末予言に詠われる「アンチ・キリスト」と呼ばれる少女と出会う少女の物語。
第2部は西暦2022年シンガポール、コンピュータグラフィックデザイナーが、時を越えて突如現れる「ブルースカイ」という女との出会いを描く青年の物語。
第3部は、2007年4月、日本。時を移動した少女「青井そら」の最後の3日間を描く。

とまあ、ちょっと面白そうなストーリーなんですが、読んでみて理解に苦しむ。どうして脈絡のない時代を並べ立てたのか、と思ってしまいました。
第1部も第2部も、そのまま進めたらよい1冊になりそうな感じがするくらい途中まで楽しめたので、それが非常に残念です。それらの時代はなんのリンクも関係もないんだからまとめられるわけないもんな。

この桜庭先生の作品はこれ以外知らないのですが、この先生をウェブで調べると「少女」というストーリーが出てくることが多いらしく、それを知っていれば、少しは理解出来たものだったかもしれません。
だからってなにがブルースカイなんだろう。

締め切りに迫られてという作品だった、ということで手を打つことにしますかね。

どうでもいいけど、今日のハヤカワ・オンラインのトップページの「編集者のこの1冊」にはこの「ブルースカイ」が載ってます。
わざわざ他の書籍を差し置いてまで書いているくらいだから、編集者の期待作なのかな、とも考えるのですが、こういう推薦文ってのは、どのくらいの価値があるんだろう。文末の解説とかと違ってウェブの推薦文なんて、書かなくても一向にかまわないという気がするから、つまんないのは薦めないとか思うんだけれど。
なにしろハヤカワ・オンラインみるの初めてだから、推薦ってのはどういう基準で選ぶのかがわかりません。適当に選ぶんだろうか、レベルが高いと思ったのを選ぶんだろうか、売り上げをみて選ぶんだろうか。在庫さばかないとマズいから取り上げてみる、とか。
大抵本とかの紹介文で「オススメ」「名作」とかの1文ではなく「意欲作」と書いてある作品は怪しい場合が多い。

この一冊の結末はオススメしません。
だからBGMもなし。
posted by しょうへい at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

SF小説「マルドゥック・スクランブル -The Third Exhaust- 排気」 と 「BRAVE NEW WORLD」 by IRON MAIDEN

 オススメ度:☆☆☆☆☆
 ギャンブルもついに終焉を迎え、王手はバロットの手にかかった。ギャンブルでの目的を到達し、最後に残されたボイルドとの決闘を迎える最終章。

 一つずつ、シェルと言うバロットの殺人実行犯の犯行動機などを探ってゆく様が、文字の羅列のような表現をとりつつ、しかし時間が読者を拘束するかのような。映像をみているようにページをめくることができてしまう一冊でした。抜群に面白かった。
 バロットの成長、ドクターやウフコックとの友情や愛情、ボイルドの存在感、あらゆるものが発揮するこの作品の輝きはまさしく名作と呼ばれるにふさわしい作品である。

 この作品にふさわしいのはアイアンメイデンの「ブレイヴ・ニュー・ワールド」です。一度脱退したシンガーのブルース・ディッキンソンとギターのエイドリアン・スミスが復帰した第1作、またケヴィン・シャーリーというプロデューサーのもと行われたこのレコーディングはドラマティックな展開を今まで以上に披露している、全曲がシングルカットできるくらいの作品が集まった名作の1枚です。
 このオープニングチューンである#1「ザ・ウィッカーマン」から最後までパズルのようにぴったりであるヘヴィメタルアルバムでしょう。歌詞が、#3「ブレイヴ・ニュー・ワールド」や#4「ブラッド・ブラザーズ」、#7「ザ・フォールン・エンジェル」などそれぞれのキャラクターに重ね合わせたい楽曲がそろっています。一つひとつの曲にドラマがあり、これ以上を望むアルバムもないと思います。やや暗めな雰囲気のアルバムで、また悪魔や魂と言った言葉が歌詞になっているので、こういったSFには世界観がぴったりであると感じます。
 このマルドゥック・スクランブルを読むときには、ぜひアイアン・メイデンのブレイヴ・ニュー・ワールドを。
posted by しょうへい at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

SF小説「マルドゥック・スクランブル -The Second Combustion- 燃焼」 と 「YOU HAD IT COMING」 by JEFF BECK

 オススメ度:☆☆☆☆
 マルドゥック・スクランブル3分冊の第2巻。焼き殺され損なったルーン=バロット、救った万能ネズミロボット・ウフコックとまだら髪のドクター。バロットへ再度襲い来る脅威のもと、バロットはウフコックを「乱用」し、拒絶反応を戦いの最中引き起こしてしまう。そのあと待ち構えている相手が、悪夢の体現である「錆びた銃」ボイルドである目前にして。
 なぜ「自分が」殺されなければならなかったのか、自分の意味を探すバロット。自らの「有用性」の証明ため戦い抜くスクランブル-09。全てのキャラクターに、全てのページにさえドラマが詰まっている1冊。

 さすがの第2巻、それでも緊張感は持続され、非常によい1冊となっている。バロットとウフコックのドラマが読みながらもぐっとくるし、ボイルドの冷徹さが伝わってくる。
 しかし注目してしまうのは、バロットら主人公よりもボイルドに目がいってしまう。彼が登場したり話に出てくるシーンは、非常に惹かれながら読んでしまう。いまいちボイルドはバロットを逃してばかりなんですが、なんというか、このキャラクターには非常に注目してしまう。中でもフェイスマンとボイルドの対峙の場面は注目でしょう。
 話の展開でちょいと、と思うのは、あれだけガンアクション初めておいて、ギャンブルバトルに入るという所です。期待したのはアクションだったのですけれど。しかしそれでもこのギャンブルでも圧倒するだけの力量を持っているというのがすごいところ。思った以上にギャンブルに力を入れて書いたので非常に面白いのですが、ちょっと長めです。
 ともあれやっぱり1巻読んだらこの2巻も読んで、次の3巻まで止まれません。この1冊も圧巻です。

 この1冊は比較的落ち着いた1冊というか、叫ぶ曲よりも流れるようなギターを聴きたくなる1冊なんじゃないかと思います。とくにギャンブルのシーン。そしたらやっぱり、ジェフ・ベック先生になりました。「ユー・ハッド・イット・カミング」です。アクションシーンは#1「アースクエイク」でばっちり決まりますし、#2「ロイズ・トイズ」は出発とか出撃の場面が浮かびます。フェイスマンとボイルドの会話での緊迫感なんてのは#6「ルーズ・キャノン」なんて怪しい雰囲気でいい。なんと言うか、一触即発という緊張があります。SFにあうアルバム、まあどんなBGMにだってなれると思う1枚です。本当は3大ギタリストのジェフ・ベックのアルバムは、BGMにできるようなものではなく、そっちに耳がとられかねませんけれど。ダンサブルでありブルーズでありロックである1枚、ぜひ一緒に楽しんでいただきたい。
posted by しょうへい at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

SF小説「マルドゥック・スクランブル -The First Compression- 圧縮」と「Are You Dead Yet?」 by CHILDREN OF BODOM

 オススメ度:☆☆☆☆☆
 冲方丁(うぶかた・とう)著、「マルドゥック・スクランブル -The First Compression- 圧縮」。第24回日本SF大賞受賞作品。死に際で救われた少女娼婦バロットは、自分はなぜ殺されなければならなかったのか。ネズミ型万能兵器ウフコック、まだら髪のドクターらと共に事件を追ってゆくうちに、巨大な組織が背後にいることをしることになる。SFハードボイルドアクション。
 大賞受賞作品ということもあって、濃密で非常に面白い作品です。言葉の韻を踏ませる象徴的なシーンも登場人物もストーリーも文体も、これらはほとんどの点において気に入った小説の一つです。最初の方の文章はいまいちかな、と思っていたけれど、進むに連れてどんどん筆がのってくるというか、読んでいる方も心地よくなってくる、そしたらあっという間に読み終えてしまうことが出来てしまう一冊でした。
 とうぜんこういうハードSFには飛行車もガンアクションもしゃべる動物型ロボットもあり、その上ハードボイルド。当然ルビはカタカナでびっしりときまっている。このSFという世界にどっぷり浸からない理由が見つからないくらいいい作品でした。
 事件の複雑さも非常に面白いのが、事件を起こす度に記憶を洗浄するシェルという事件屋の設定。こういうストーリーの設定って面白いと感じます。こいつと組むのが、また悪そうなボイルドという男。もうみんなキャラクター個性的で、最後の方についに出てくるアクションシーンがあるんだけれど、そこでのキャラクターらも気色悪いの勢揃いな上にアクションかっこいいし、もう惚れてしまう一冊です。
 忘れてならないのは、心を閉ざした中心人物バロットと、それを手助けするウフコックの関係で、この二人が本当にいいケミストリーを作り出している。

 この作品には、ぜひこの1枚のアルバムをBGMにしていただきたい。チルドレン・オブ・ボドムの「アー・ユー・デッド・イェット?」。このアルバムのタイトル通り激しいデスメタルですが、これがいいアルバムなのです。メロディアス・デスメタルと言われるだけあってメロディだけ聴いてりゃ快感を得るくらいののれる粒ぞろいのアルバム。キーボードの旋律とギターソロは、そりゃみんな好きになるよ、という作品です。しかし、ベース、ドラムと特にリズムギターが重要なバンドです。特に1曲目の「リヴィング・デッド・ビート」の独特の拍を感じていただきたい。それに2曲目のタイトルチューン。こういうハードSFであり戦うことから離れられない彼らに、自分を殻に閉じ込めてしまう彼女らにはぜひこの曲を、と感じます。
 静かな曲もこの1冊には欲しかったのですけれどね。ただジャズとかフュージョンではないよな、って思います。ハードな楽曲がぴったりくる1冊です。

 マルドゥック・スクランブルは3分冊ですし、この続編マルドゥック・ヴェロシティも発表されました。僕は今年、SFを大量に読もうと思います。SF好きならこのシリーズは全巻必読ですね。おすすめします。
posted by しょうへい at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

国文学:「屍鬼」BGMはDreamtheater「Images And Words」

  小野不由美著、1998年新潮社刊。上下巻。日本伝奇小説。
 文庫本では5分冊1000ページを超える大作ですが、それだけ読む価値のある小説だと思います。
 小野不由美という小説家の作品は濃密で登場人物が多く、この作品でも50を超えるだけの人物が登場してくる。その中でも誰が誰だかということを意識させることなく読み手に訴えかけてくる。この「屍鬼」は伝奇という作品で上下に分冊という形でありながらも決して飽きさせるような作品ではなく、これでもかというほど読み手を惹き付ける作品です。僕は文庫で読み始め、最初の1冊目は古典的な文学作品とでも思うくらいの硬めな文章で読むのに時間がかかりましたが、2巻からは話が流れるように進み、なんというか面白さが加速度的に増してゆき、止められなくなるくらい惹き付けられる展開、心の揺れ動き、様々な要素が読み手を離しません。読まなければ損をするくらいの作品です。
 話の流れは、村で吸血鬼に噛まれた人間が「起き上がり」という化け物になって甦り、それが人を噛み、次から次へと増えてゆく「起き上がり」をどうするか、というもの。その現れた理由、そして倒すにはどうすればいいか。それを、主人公である医師の敏夫と僧侶の静信が、それぞれの立場と想いを信じて、村人を救うための「正義」を、形は違えど達成するというもの。この二人の主人公の「正義」に対する考え方というもの、また村人が次第に「起き上がり」に変わってゆく様、その表現方法が絶対的な面白さというものを表現しています。この作品はぜひおすすめの作品、大作と言うこともあり尻込みするでしょうが、ぜひ読んでいただきたい。絶賛です。
 この作品にあうBGMは、ドリームシアターの「イメージズ・アンド・ワーズ」です。
 この「イメージズ・アンド・ワーズ」は、プログレッシヴ・ヘヴィ・メタルというジャンルを確立させた作品として、数あるドリームシアターの作品中に最高傑作として名高いもので、ヘヴィさと物悲しさ、またプログレッシヴな面も濃く持ち、現在のドリームシアタースタイルとは違う明るさや躍動感というものを持ち併せたアルバムです。#1「プル・ミー・アンダー」の暗く重いミステリアスな雰囲気は、まさにこの「屍鬼」のテーマにふさわしい。#2「アナザー・デイ」の美しいサックスから始まるメロディをもつバラード、「また一日、生きてみる 少しだけ成長出来ればいい そうすれば生きる理由も見えてくるだろうから お前の手には灰が、目には哀れみが そうやって静かな空を探しているのか・・・・」というものが静信を表しているような気がします。#6「アンダー・ア・グラス・ムーン」、「確信に満ちたおまえの心の外側では 銀色の涙が魂を洗おうとする 黒ずんだ夏の空のもと 時間よ無意味になれと祈る」なんて、この作品にぴったりの無情感でしょうか。なにからなにまで「屍鬼」と歌詞が合う、ぜひこの1枚、「イメージズ・アンド・ワーズ」をBGMにしてみてください。
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2006年01月05日

海外文学:コーンウェル「証拠死体」BGMはRoyalhunt「Moving Target」

 パトリシア・コーンウェル著、検死官ケイ第2巻。前作「検死官」でMWA処女作賞受賞した元バージニア州検死局プログラマーの続編第2弾。この作品で大人気シリーズとしての確たる地位を得たほどの作品。主人公ケイ・スカーペッタのハードボイルド調な姿勢もかっこよく、口の悪いマリーノとのコンビも見所です。追い詰められ、引き離し、ついには解決となるところまで目が離せない。非常にテンポよく、一つひとつの謎が紐解けてゆくさまがすばらしい。ひとつの物事から、推理小説として「証拠」にこだわり現実の捜査がこのように行われているのか、とリアルな世界観には引き込まれます。そこで面白いのは、ケイの物的証拠からじわりじわりと犯人に近づいてゆくのにたいしてマリーノ警部が短気で直感的な捜査を好むと言う対比が面白い。登場人物もくせのある人物がそろっており、様々なことが複雑に絡み合う。それだけに読み応えがあり満足させてくれる。エンターテイメントとして絶賛します。おすすめです。読んで止められない話の展開が、読者の心をわしづかみにしてくれます。
 この小説に合うBGMを選ぶならば、ロイヤルハントの「ムーヴィング・ターゲット」です。
 ロイヤルハントの古いアルバムは、シリアスミステリアスな楽曲が詰まっており、映画のサントラのようにもぜひ聴いていただきたいようなアルバムです。推理やハードボイルドな作品のBGMにはぴったりだと思います。このアルバムは二代目シンガーのD.C.クーパーが加入しての初のアルバムであり、シンガー交替というバンドの命運を分けるほどの事件でありながらも、その内容がまた素晴らしくてそんな事件もなんのそのといった風情で帰って来たロイヤルハントの1997年発表作品。このD.C.の声が楽曲を引き立たせているのか、楽曲がD.Cをを巧く引き出すのかはわからないけれど、彼の声だからこそ完成された作品なのではないかと思います。
 この「ムーヴィング・ターゲット」、歌詞も深く、「証拠死体」の主人公、ケイ・スカーペッタの女性ながらも孤独である感やそれでも強い部分を共鳴させ合うような部分を持っているのではないかと思います。#1の「ラスト・グッバイ」はロイヤルハントの象徴的なスタイルのクラシカルかつ哀愁のある美しいメロディとコーラスラインをもち、「犯罪は実行された、俺は夜一人でいる」という歌いだしのドラッグについての歌であるけれど、これがまた「検死官」シリーズに合うんです。ぜひご一緒に。

あらすじ
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2005年12月27日

国文学:桐野夏生「天使に見捨てられた夜」BGMは矢沢永吉「横顔」

1994年、講談社刊。
前作「顔に降りかかる雨」で私立探偵村野ミロを描いた続篇である第二弾作品。
前作にひきつづき渋い女性探偵が魅せる捜査には引きこまれてしまった。捜査とは地道に行い、経験とそれが導く勘ありきのものであると思ってきたのだけれど、彼女はそれがそうでもない。捜査するべき探偵でありながらもどういうわけか敵対していた男と関係をもってしまったり、生命を落すほどのミスをやらかしてしまうこともある。しかしそれを桐野夏生が描くといきいきとし、魅せつけられる。なるほどなあ、と。はっきりいえばこの小説の内容には贅肉が多すぎる。無駄な人物や出来事が目につくのだ。矢代なんて必要さえない。この男に魅かれるミロの心情は理解し難く無意味に彩りをつけたような気がする。それにトモさんも必要ない。勿論彩りとしてなのだけれど、それどまり。かっこいいハードボイルドな女性を描くためだけの登場人物という位置づけというのがけっこう気になる点だった。
と辛口にかいたけれど、ミステリーとして面白いのは勿論だし佳境になってゆく、謎がとけて行く様は心地よい。おちはややあんまりだと思うけれど。
この小説に似合う、と思ったのは出来ればドライなロックだと思い、これ。矢沢永吉の「横顔」。
じわりと効いて来るバラードから、なりふりかまわず高速道路をとばしたくなるロックソングもあり、ぴったりな雰囲気を出してくれます。村野ミロは女としての自分を持ち、夫を裏切るような形のまま死なせてしまったという苦しみを負いながらもそれに屈することなく他の男に抱かれる。夫をたてて堪えると言う美徳を蹴飛ばして。深い苦しみがミロを襲うが、その苦境を乗り越えようとする強い女性として生きる様が、矢沢永吉につうじるかな、ということもある。矢沢永吉の頑なである心は多くの人の胸を打つ。詐欺に自分が騙されたときでさえ、それをゆるせるだけの心がある。
アルバム1曲目の「パッシングライト」を聴いて頂きたい。この空気がハードボイルドに似合うのである。是非この小説にはこのアルバムを。
あらすじ
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2005年12月05日

国文学:太宰治「人間失格」BGMはOzzy Osbourne「Blizzard of Ozz」

 太宰治の代表的作品。主人公、葉蔵の一生を手記としての視点で描く。非常に暗く、重い。テーマは自分の中の闇であり、砕けた言い方をすれば人を信じられないのに女性にもてることの苦しみと、他人に本当の自分をさらけ出すことができないストレスによって、酒の飲んだくれになり、心中未遂を起こし、薬に手を出すことにつながってゆく。しかしそれはもちろん誰のせいでもなく葉蔵自信の心の暗さがすべてを引き起こしている。人が自分に対して警戒心をいつか抱くのではないかと想像しては恐ろしくなり、心がじわりじわりと壊れてゆく。
 ただ、多くの人は彼と同じように、自分はこんなはずじゃない、とか虚勢を張ってみたり、世間に仮面を被って向かい合ったり考えたり悩んだことがあるとおもいます。程度の差さえあるのでしょうが。それを思い込みすぎて自分から苦しくなっていったと感じる部分が僕にはたくさんこの小説にあったと感じたし、被害妄想が膨らんでゆくというか、そういう感触です。
 ただ、あとがきでぽつり「あの人のお父さんが悪いのですよ」その一言で、不思議と葉蔵が救われた気がしました。
 この作品が多くの人の傑作にこの時代になるとは思いません。興味のある方が読めばよくて、決して僕は名作であるとか感銘を受けるということは今の時代には不釣り合いで、これを教訓に生かす場面というものは非常に少ないでしょう。

 もし、この小説にBGMがつくのであれば、オジー・オズボーン「ブリザード・オブ・オズ 血塗られた英雄伝説」でしょうか。
 ブラック・サバスを脱退して、薬付けの生活から復帰した後のオジー・オズボーンの1stアルバムです。
 オジーだけではなく故ランディ・ローズの才能あっての完成と言われるこの傑作、太宰には明るい曲調だけれど、世界観のテーマやオジー・オズボーンという人間性の根底には通ずるものがあります。特に「スーサイド・ソリューション」でしょう。「どこに隠れようと言うんだ、救いは自殺だけ」という歌詞はオジーがドラッグと酒に冒されたときのことを歌ったもので、まさしく葉蔵に等しいと言えます。
 またオジー・オズボーンもまさしく「人間失格」と言えるだけの道を通ってきた人間であり、それはスターになったとかその前から幾度となく逮捕歴があるということもそうですが、またドラッグと酒にも溺れ、ブラックサバスを解雇されて廃人と半ばなっていたなど、本当にこの「人間失格」かと思えるほどです。しかしそんな状況のところを、今の妻であるシャロンにギタリストであるランディ・ローズを紹介されたところから全てが変わってゆく。「人間失格」である葉蔵とオジーの二人の間には、決定的に違うところはその運命を揺るがすだけの出会いに恵まれなかったということかもしれません。

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2005年11月30日

国文学:中山可穂「白い薔薇の淵まで」BGMはFair Warning「Rainmaker」

  2001年、集英社刊。文庫版は2003年、集英社文庫刊。第十四回山本周五郎賞受賞作品。
 内容と言えば、端的に言えば主人公川島とく子が塁という女性に、同性愛であるということを意識せずに愛し合い性の交わりを中心に描いた作品で、塁以前から愛している男性と付き合い、結婚しながらも惹かれてゆく。
 その相手が女性であるということについてとく子には周りの目を気にするものの、同性愛で悩むということが話の中心であることの他に、心が惹かれていってしまうという不倫あるいは浮気という部分の視点も大きい。それだけに感情の機微がありきたりな同性愛作品の、性に関する悩みというものとは一線を画していたと思う。
 同性愛を描いた恋愛小説は最近特に目につくだけ多く、それでもこの作品は心に残るものだったのは上のような意味合いがある。僕自身は同性愛というものに興味はないけれど、そのテーマには不思議と共感できるような部分が僕の中にある。それは、この小説でいえば、主人公川島とく子の恋人である喜八郎の存在である。山辺塁に惹かれ、深く愛し合う二人に、喜八郎は「優しさ」でそれを奪い返すことがかなわないというもの。その感覚はなんだか共感してしまう。自分で遠慮して奪うことをよしとしない男が苦悩する様もすばらしく描いている。もちろんとく子と塁の「本気」の描き方もであるけれど。
 この小説のBGMにしたいと思うのは、フェア・ウォーニング「レインメイカー」
 ドイツ出身ハードロックバンドの、メロディが非常に美しく日本でも大人気を博したフェア・ウォーニングの2ndアルバム、1995年発表。
 「スターズ・アンド・ザ・ムーン」で始まる非常に繊細で哀愁を漂わせたアルバムが、この小説の雰囲気に似合っていると思う。歌詞の内容もこの小説のテーマである「愛」について深く語っており、特に「トゥー・レイト・フォー・ラヴ」の、「ひと掴みほどの記憶、変わらぬ真実 恋は流浪の民のよう、また先を急いでいる」という歌詞がばっちりとあっている思います。何よりメロディが秀逸のバラードだし、トミー・ハートの歌が映えている。愛がテーマの小説ならたいていこのアルバムで合いそうな所もあるのですが、特にこの叙情と泣きのメロディ、そして歌詞がぴったりだと思います。

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2005年11月21日

国文学:姫野カオルコ「喪失記」BGMはYngwie Malmsteenの「Rising Force」


 早熟ゆえに自分を規律できっちりと固めてしまった女性の話。僕は男であるけれど、共感する部分は多い。外見のコンプレックスも強く、欲を出してはいけないという自分をくくりつけ、結局それは自分はうそつきであり、同時にその嘘を看破してもらいたい。それを感じることさえも罪だと思う理津子、なんて作品を描くんだろうとおもう。自分も、そういう「他人に優しくされたいけれど言わない。でも気づいてほしい」と思うときは多い。少し読み、そのまま目が離せなくなった。人の心の流れを見事に描いた力作です。相槌をうつ大西の存在も素晴らしい。

この物語の雰囲気に合うBGMは、イングヴェイ・マルムスティーンのソロ初の'84年発表アルバム「ライジングフォース」でしょうか。

 静と動のあるアルバムが、この小説の雰囲気と非常に合っています。
 「ライジングフォース」の完成度は、二十歳そこそこの若者が作ったとは到底思えない、まさしく「天才」と呼ばれるだけのエッセンスを詰め込んだ作品であり、あまりにも完成、洗練されている。イングヴェイという人間には速弾きということだけで注目すべきではないのです。
 「ブラックスター」で始まるこのアルバム、ギターが泣いているという言葉にふさわしく、この小説の根底の部分に響く人もいるのではないかと思います。「ファー・ビヨンド・ザ・サン」は彼の中でも特に代表曲で、「ブラックスター」と並んできっちり抑えるべき曲です。「イヴィルアイ」「イカルスの夢組曲作品4」どれもさびしさがあり、しんみりとした雰囲気に合う。この小説や、あるいはもっと古い時代の古典日本文学にはきっちりはまるアルバムです。文学にはぜひこれを。

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2005年10月29日

国文学:吉本ばなな「アムリタ」 BGMにはピンクフロイドの「対」

  94年単行本を97年に文庫として出版した、紫式部賞受賞作品、上下巻。
 吉本ばななって言えば一世を風靡した天才的な現代文学作家と言える女流です。
 彼女の作品は男があまり読むような作品ではないのかも知れないけれど,感覚的な描写を美しく描く。男の作家には書けない感覚なのではないでしょうか。この作品は、ひとつのセンテンスが詩の連なりのような形で作られており、どの部分を抜き出してもサマになるくらい素晴らしい。文章一つとっても引用したくなるほどで、例えば国語の授業で先生が引用を何百箇所でも引き出して伝えたい作品だと思う。何度も泣きそうになってしまった(僕はかなり他人様と泣くところが違うといわれるけれどね)。
 話の筋は不思議なものが見える人と朔美が付き合っていくものであるけれど、なぜかそれを不思議と思わせずに話が普段どおり進むような感覚で読み進められる、非常に稀有な作品。作家としての研ぎすまされたセンスにただただ読み進めてしまいます。絶賛です。

 この小説の独特の雲を掴むような雰囲気にあった曲、それは多分ピンク・フロイド。プログレッシブ・ロック的な浮遊感がこの「アムリタ」にはとけ込むような気がします。もっと合うのがあるんだろうけれど、僕の貧相な音楽の引出しから出て来たのはこれ。「対」。
 僕は昔からのリアルタイムなピンクフロイド世代ではないけれど、それでも僕が最初に聴いたピンクフロイドのアルバムがこれ。1994年に発表されたこのアルバムは音楽的リーダーであったロジャー・ウォーターズ不在のアルバムなので気に入っていない方も多いと思うけれど、とにかくこのアルバムの「クラスター・ワン」とかみたいな、しんみりとした空気が凄く似合っていると思ってます。デイヴ・ギルモアのギターが切なく奏でる「ホワットドゥユーウォント」とか。プログレがばなな先生の作品には似合ってます。

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2005年10月15日

国文学:谷崎潤一郎「痴人の愛」

 「卍」「春琴抄」「細雪」などで有名な文学者谷崎潤一郎の作品。
 なんというか、婚約した妖婦の妖しい魅力に、どんなに不貞をはたらかれようと結局は虜にされて離れられない男の悲しい性のお話。
 28のおっさんが15の女の子を「そのうち綺麗になったら嫁にしよう」って打算で引き取るのはヘンタイですがね。童貞間違いなしです。文学だからって、ヘンタイ過ぎですこの主人公の譲治。そりゃ金目当てでつきあうよ。
 以前読んだ川端康成の「眠れる美女」もかなりのヘンタイですが、これも負けず劣らずのヘンタイのお話だからね。だけれども、そこはやはり文学者が書くだけのことがある。テーマなんて単純だけれども、それでも作品の譲治に感情移入をさせられてしまう。文体も軟らかいので読みやすかった。まあ、お話自体やオチが面白いってわけではないです。あ、っそう。そんな感じですね。女性にナオミみたいな態度されたら、多分あたしゃ譲治と同じ末路になるんでしょうなあ。スケベ根性ってのは昔も今も変わってませんな。
 谷崎潤一郎の中でもライトな感覚で読める一冊、スケベな描写もとくに出てこないのし、読みやすいので軽く雰囲気を知りたい方には、分厚いけれどまあお勧めな一冊。作品レベルとしてはたいしたことないですが。
 今回、この文学のBGMにしたいのはこちら。
 レインボーの1st、銀嶺の覇者(原題:Rainbow)です。まあ、なにがとはいいませんが合うと思います。谷崎の作る雰囲気と、ギタリストのリッチー・ブラックモアの音楽とロニー・ジェイムズ・ディオの歌う歌詞の、どれも漂ってくる退廃的と表すべきなもの。「私は車輪♪」とかって訳してほしくないけどな。

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posted by しょうへい at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 重金属的文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする